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がんばれ

体がきつくてたまりません。

どこに身を置いていいのかわかりません。

おそらく、2週連続で抗がん剤を投与したため、

免疫力が落ちてきているのでしょう。

今日は午前中、頼まれていた仕事を仕上げました。

どうしても入院する前に、

お客さまにお届けしたかったのです。

今週も仕事をやりとげられました。

ほっとしたら、

だるさがいっぺんに体をおそってきました。

がんばらなければならないと、

みなさんの一人ひとりの顔を思い浮かべます。

生きんと申し訳ない。

だけど、

川にでもどこでもいいから、

この身を投げ捨ててほしい。

今が人生で一番幸せなのに、

生きることがとてもつらいのです。

がんばらなくてはなりません。

奥歯をかみしめます。

明日からポートを埋め込む手術を行うため、

入院します。

水曜日が手術で、

木曜日が抗がん剤投与。

退院するのは、週末くらいになるでしょう。

しばらくブログを書けなくなってしまいます。

辛いときがあるかもしれません。

苦しいときがあるかもしれません。

だけど私はあきらめません。

私は負けません。

ポートを入れて、

また元気になって、

みなさんとすばらしい時間を過ごします。

がんばれ。

がんばれ。

私は今、自分を一生懸命応援しています。

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2009-06-30(Tue)
 

若さ

今日も体がきつくてたまりませんでしたが、

お友達が買い物に誘ってくれて、

気分転換にお買い物に出かけました。

私よりもひとまわりほど年上のお友達と、

行く予定でしたが、

せっかくだから20代のお友達も誘って、

3人で行きつけの店に行きました。

アクセサリーやバッグなどの、

よい品物を見ると、とても楽しくなります。

その後、20代のお友達が私の部屋で、

マッサージをしてくれました。

彼女といろんなお話をしているうちに、

いくらか体が楽になったように感じられます。

気分がよくなったので、

何かおいしいものが食べたくなり、

以前よく利用していたお店へ行きました。

そこで彼女と時間も忘れて、

食事をしたり、お酒を飲んだりしながら、

いろんな話をしました。

とてもいい時間を過ごせました。

途中で、この店の若い店主も参加してくれて、

今日は若い人たちに囲まれて、

たくさんエネルギーをもらえた一日でした。

私は、音楽にしてもファッションにしても、

若さみなぎるものが大好きです。

今日はごちそうさまでした。

2009-06-29(Mon)
 

自分のために

昨夜はひどい頭痛で夜が眠れず、

鎮痛剤を飲んで、眠りにつきました。

朝起きたら、少しはよくなっています。

入院の準備をしなければなりません。

薄手のパジャマを買ったのですが、

小さい私の体にぴったり合うよう、

今日は職場に補正にでかけました。

お友達が、

体がきついのだから、少しくらい大きくてもいいじゃない。

と言葉をくれましたが、

私だってかっこよく着たいじゃないですか。

格子の模様が、

縫い目を境にうまく重なっていないところを見つけて、

糸を全て外して縫いなおしました。

職業病ですね。

ですが既製品に手を加え、

納得できる商品にする時、

何となく、自分を誇らしく感じたりします。

まだまだ既製品には負けません。

さて、一つひとつ入院の準備ができています。

2009-06-28(Sun)
 

遠方からの便り

今日は昨日抗がん剤を投与した腕の血管が、

真っ赤になっていたので再び病院へ行きました。

これはよくある症状のようで、

右手に湿布をはって、包帯を巻いてもらいました。

昨日は遠方に住む亡き妹の娘から、

小包が届きました。

その子の住む町では有名な物を、

いつもお世話になっているみなさんにと、

贈ってくれたのです。

そんなことをわざわざしなくてもと、

今は叔母ならず、親心にも似た気持ちを抱きましたが、

同時にその子の気持ちが心にしみて、

急に恋しくなりました。

最近は私の心配ばかりしてくれますが、

そっちでうまくやっているのでしょうか。

私にとってはとても優しくて、自慢の姪です。

そんな姪との思い出が頭をよぎります。

すごくおいしいよと、

みなさんに好評です。

ありがとう。

私はここで顔晴っているからね221

 

2009-06-27(Sat)
 

元気の源

今日は抗がん剤投与の日です。

今日は心強い付きそいが来てくれました。

先日触れた、20代のお友達が、

今日は受付開始から私のそばにいてくれています。

というのは今日は大切なお話を、

先生としなければならないからです。

彼女には、

耳の治療も行っていて、

声が聞こえにくい私の助っ人として、

ついてきてもらうことにしたのです。

今日の採血の結果は先週よりも半分ほど、

数値が下がっていました。

抗がん剤を打つと、どうしても下がってしまいます。

仕方のないことです。

そう自分に言い聞かせました。

採血の後、耳鼻科で診察を行い、

駆け足に外科へ向かい診察を受けます。

大切な話というのは、

手術のこと。

血管が細く、注射針が入りにくいため、

皮下埋め込み式ポートを入れてもらうことにしたのです。

ポートを埋め込むことによって、

注射針で血管を探ることを避けられます。

手術は来週の水曜日に決まりました。

火曜日から入院です。

付き添ってくれたお友達が、

何度も何度もいろんな質問を先生にしてくれました。

味方がいてくれてとても安心します。

診察の後は抗がん剤を投与しました。

今日は2人の先生が投与に携わってくれました。

とても感謝しています。

私が一番怖れている注射針は、

今日は一発で血管の中に入ってくれました。

それはお忙しい中、

ベテランの先生がわざわざ駆けつけてくれたからです。

ナベルビンの投与は、毎回ここでお世話をしてくれる、

若い先生に打ってもらいました。

注射針を押す時に、私の血管に激痛が走ります。

「先生、痛い。痛い。」

私は顔をもう片方の手で覆います。

先生は痛む部分を自分の手でおさえてくれて、

こう言ってくださいました。

「明子さんのブログ見させてもらいましたよ。」

先生はとてもやさしい口調でした。

「いつも明るい明子さんが、こんな気持ちでいるなんて、

おどろきました。」

私の腕を包む先生の左手が、

とても温かく感じられました。

付き添いのお友達が、

私の元気の源は、

かっこよくて、やさしい先生たちのおかげかな。

と言ってくれましたが、

そのとおりです。

病院に来ると、

私は何も考えません。

何も動くことはありません。

それは、私に携わる先生たちを信じているから、

そうでなければ私は生きられません。

その後のハーセプチンの投与は、

お友達が枕元で楽しいお話をたくさんしてくれたので、

いつもよりも時間が短く感じられました。

いつもは顔をしかめて目を閉じていますが、

今日はずっと笑っていたような気がします。

帰宅してから熱が出て気分が優れないのですが、

そんな中で今日も誰かに感謝することができました。

がんばらなければなりません。

がんばらなければ。

 

2009-06-26(Fri)
 

エネルギー

今日は仲間7人と、

少し遠方に出て海の近くで食事をしました。

獲れたての新鮮な魚料理をいただきながら、

とても幸せな時間を過ごしました。

食事の後は、

一人の家におじゃまして、

ほんの少しだけお酒をいただき、

みんなでおしゃべりをしました。

たわいない会話に大笑いしながら、

明日のこともすっかり忘れてしまいそうでした。

明日は抗がん剤投与の日です。

今週は4日寝込んでしまったので、

本当にあっという間でした。

ですが、今日はたくさんたくさん、

エネルギーを体の中に取り入れました。

新鮮なお魚、

海の景色や磯のにおい、

そして何よりも誰かと一緒に笑え合えたこと、

すべて明日の治療のために、

大切に体に蓄えておきました。

思いがけない時間を企画してくれた仲間に、

感謝しています。

もちろん、このブログで、

私を見守ってくださっている方にも心から感謝して、

明日はがんばります。

感謝の気持ちは苦痛に負けないと思うのです。

病にさえもその気持ちは立ち向かいます。

2009-06-25(Thu)
 

命の証

昨日の日記で触れた、90代の方のお話です。

彼女は91歳で、今も元気に働く私の師匠です。

91歳で店をきりもりしている、

いつまでも尊敬できる私の師匠。

はじめての出会いは私が18歳の頃でした。

今は温和でかわいらしいおばあちゃんですが、

当時は、私が遅くまで縫っていた衣服が、

朝起きたらほとんどほどかれていたほど、

それはそれは厳しいお方でした。

当時多くの従業員を抱えていた先生の店は、

町では一流を誇っていて、

私たちはそんな先生の元で、

毎日毎日夜通し働いていました。

今の時代、ほとんど既製品が需要され、

今はほとんどお客もいない状態ですが、

それでもこの店をごひいきにしてくれている方はいます。

私は仕事がない日でも、

先生のいるこの店へお弁当を持って出かけます。

目が随分弱くなっている先生が、

お客様の前で、

暗算で、商品の割引見積もりを出している姿に、

まだまだ90代、

自分が死ぬことを決して想像してくれるな。

と笑顔で振り向く先生に、

はっぱをかけられる毎日。

私は死ぬまでこの仕事を続けるつもりです。

甘い蜜も苦い蜜も味わいましたが、

ここが、

私という人間が生きた証であり、

私という人間が生きた舞台だから。

私は死ぬまで、

この店と共に生きていきます。

 

2009-06-24(Wed)
 

感謝の気持ち

昨日は熱が出て、

関節が痛く、

1日中ベッドで過ごしました。

ですが今日は職場から連絡があり、

1日中仕事をしていました。

赤いズボンを今日は作っていたのです。

不思議です。

昨日まで体がふらふらしていたのに、

ミシンの前に座ると、気持ちが強くなります。

しびれた指先までも、力が入ってきます。

赤いズボンの持ち主になるのは、

80歳半ばの方です。

私とは親子ほどの年の差ですが、

いつも私を指名し、品物を注文してくださります。

感謝していると同時に、

ありがとうと、

お客様から感謝されることで、

大きな生きる力をいただいているような気がします。

いつも前向きで、

明るく、

ファイトのある80代のお客様が、

できあがった赤いズボンをはいている姿を見るのが、

とても楽しみです。

考えてみると、

私の身近にいてくれるお友だちは、

下は20代から上は90代まで、

とても幅が広いです。

20代のお友だちは、

毎日メールを送ってくれて、

電話をかけてくれ、

ハイカラなプレゼントで、

私の知らない世界を楽しませてくれます。

90代のお友だちは、

私の師匠であり、

母のような存在でもあり、

数々の修羅場を共にくぐってきた、

戦友のような存在です。

そのような私の生活に関わる様々な方が、

私に生きるよろこびを与えてくださいます。

特に病気なってからは、

以前よりもたくさんのことに感謝できるようになりました。

お会いする方、

接する方一人ひとりに感謝の気持ちを持って、

1日1日を過ごしていけば、

きっと毎日が幸せになりますね。

今まで気づかなかった最高の幸せです。

病気が教えてくれた幸せなのかもしれません。

今日もみなさんに感謝しています。

ありがとう。

2009-06-23(Tue)
 

おとちゃん

確かあの日は修学旅行へ行くために、

駅まで父が見送ってくれた時のことだと思います。

父のことを思い出すと、

いつもあの時の風景が胸に浮かんできます。

それは、山を越える時に父と一緒に見た夜景です。

私が幼少の頃は、

電球が天井に一つぶらさがっていたような時代です。

そこから見た夜景はそれはそれは美しいものでした。

私がはじめて経験した夜景です。

お星さまと、私たちの暮らすまちの、

両方の明かりに照らされて、

何だか特別なところへ立っているような、

気持ちがしました。

父が私に見せてくれた風景。

今でもはっきりと思いだすことができます。

もの静かで、

とても優しかった父でした。

おとちゃんは空で、

私は地上で、

同じように輝けているのでしょうか。

おとちゃんが私に見せてくれた夜景のように、

私たちはつながっているのでしょうか。

今日は父の日ですね。

おとちゃんの光を探そうと、

ベランダへ出て、

空を見上げました。

私にとってもやっぱり父の日は、

いつまでも父の日であり続けています。

どんなに年を重ねても、

私の父は、おとちゃんしかいません。

おとちゃん、

ありがとう。

 

2009-06-21(Sun)
 

梅干し

今日は朝少し熱があり、

今日も一日ベッドの中で過ごすことになるだろう、

と思っていたのですが、

お友達から連絡があり、

思い切って外出しました。

というのは前々から計画していた用事があったからです。

それは、梅干しを漬けること。

去年私の漬けた梅干しが、

お友達の間でかなり好評だったので、

今年も漬けたいと思っていたのです。

先日から梅を塩漬けにしていましたが、

しそができたということなので、

農家の人に分けてもらいに、今日は出かけました。

青い梅が、しその葉によって赤く染められていきます。

早く真っ赤に染まらないかと、

色づくのを待ち遠しく感じています。

今年は5キロ漬けました。

出来たらみなさんに、

おすそわけをしようと思っています。

また楽しみが一つできました。

誰かを想って何かを作っていると、

とても幸せになります。

今日は一歩前進できました。

2009-06-21(Sun)
 

1週間

今日は昨日よりいくらかよくなりましたが、

やっぱり体に力が入らず、

一日部屋で過ごしました。

それでも一日中ベッドの上で過ごすのは、

もったいないような気がして、

シーツを洗ったり、

掃除機をかけたりして、

時を過ごしました。

昨日、抗がん剤を打ったばかりなのに、

もう来週の木曜日のことを考えてしまいます。

再びこのような辛い思いをするのが怖いのです。

血管が痛くてたまりません。

全身がだるくてたまりません。

頭が痛くてたまりません。

胸が痛くてたまりません。

今日、私を心配して電話をくれた方に、

弱気になってはだめだよと、

言われましたが、

毎週受ける抗がん剤治療に、

覚悟を決めるのは7日前からでは間に合わないのです。

1週間が7日でなければいいのに。

子どもみたいなことを考えてしまいます。

1週間にもっと時間をください。

枕に顔を沈めながら、考えました。

このブログを開設しなければ、

私は、いつものように1週間を繰り返し、

何も言わず、病院へ足を運んだでしょう。

私の話を聞いてくれるみなさんに、

心から感謝しています。

みなさんは私にとって家族のようです。

みなさんに語りかけながら、

私は自分自身でいられることができます。

明日こそは顔晴ります。

 

2009-06-20(Sat)
 

負けないで

今日は抗がん剤投与の日です。

私は診察開始の1時間前には受付に座ります。

この待ち時間の間、

私はだれもいない受付で、

様々なことを考えるのです。

今日は久しぶりの治療です。

前回の治療では、血液の数値が低いのに加えて、

抗がん剤を投与したので、

それはそれは、

自分でもどこを歩いているのかもわからないくらい、

とてもきつい治療でした。

それから2週間の間に、

私はこのブログを開設し、

心温まるみなさまからのメッセージをいただきました。

受付に一人座りながら、

今日はそのことを考えていました。

たとえ現実に戻されたとしても、

前回とは違う何かが私にはあります。

診察開始の時刻になり、血液をとりました。

前回は白血球の数値が1560ほどだったのですが、

今日は6690ほどに上がっていたのです。

抗がん剤治療をはじめて最高の数値でした。

その結果を受けて、

みなさんの応援の言葉が、

次から次へと頭をよぎりました。

そして私の免疫力を高めるために、

食事のアドバイスをくれた方の、

お心づかいにどれだけ感謝したことか。

一人でいるのに、

今までよりもみなさんを近くに感じました。

すっかり一人には慣れていたはずなのに、

今までにない温かさと切なさが、

交互に私の心をおとずれます。

いよいよ抗がん剤の治療です。

昨日日記に書いたように、

血管が細い私にとって、

注射針をむかえることが一番苦しいことです。

先日20代のお友だちがプレゼントしてくれた、

ウオークマンを耳に取りつけました。

そして、負けないでの曲を再生しました。

リズムカルな明るい音を聴きながら、

涙が出そうになる瞬間です。

今日は注射針が血管に入るのに、

2度、目を閉じ、

歯をくいしばらなければなりませんでした。

あとは出しきった力の余韻にひたりながら、

ベッドに身をあずけるだけです。

看護婦さんたちがとてもやさしく、

そばについていてくれるので、

安心できます。

そうすると私の治療はいつの間にか終わっています。

帰宅するのは、お昼を過ぎる頃です。

どのように車を運転して帰るのかもわかりません。

ですが帰らなければならない。

その一心でハンドルを握ります。

昼食は食べる気もおこらず、

だけど食べなければよくならないと、

自分に言い聞かせながら、

そういう時はいとこが差し入れしてくれた、

料理をいただくことにしています。

「食べなければよくならないよ。」

といういとこの声が聞こえてくるような気持ちになります。

一息寝るたびに、体の力が抜けてきます。

どこに身を置いていいのかもわかりません。

だけど、今日抗がん剤を打ったことによって、

ますますよくなるだろうと信じながら、

いつの間にか私は目を閉じています。

もうウォークマンはとっくに取り外したはずなのに、

いつまでもいつまで、

私の耳には負けないでの曲がなり響いています。

今私は、みなさんとつながっていることを誇りに、

この命を生きています。

 

2009-06-19(Fri)
 

私がとてもとても幼い時、

近くの公民館で予防接種が行われていました。

自分の前で注射針をさされる友だちの腕を見て、

とても幼い私は、泣いた記憶があります。

今や私が、抗がん剤に使われる大きな針を、

平気で受け止めているなんて、

当時の誰が想像できたでしょうか。

ですが本当のことを言うと、

一番苦しいのは、

今も変わらず、注射針を迎える時かもしれません。

血管が細い私の腕に、

針がうまくささってくれないことが、

治療前の私の心を支配します。

同時に私が最もうれしいことは、

針が皮膚をつらぬいて、血管にささった時でしょう。

それからは、時間に我が身をあずけることができます。

毎週打っている抗がん剤ですが、

先週は私の血液の数値が低かったため、

お休みしました。

抗がん剤の副作用はとてもつらいものです。

できれば注射ではなくて、

他のもので治るのならばと何度思ったことでしょう。

せめて、毎週打つ抗がん剤を、

2週おきぐらいにしてくれれば、

どんなに精神的に楽になるかと、

思わない時はありません。

ですが、きついけれど、

この苦しさが私をなぐさめてくれたりします。

この辛さに耐えて、はじめて私は強くなれるのです。

こんなにきついのだから、

必ずよくなる。

必ず治る。

ともがきながら自分に言い聞かせます。

幸福やよろこびを生むのは、

すべてが快楽ではないと思うのです。

時に、苦しみや辛さが、

人に光を与えることがあると私は信じているから、

がんばれるのかもしれません。

 

明日は抗がん剤投与の日です。

明日だけは顔晴れないけれど、

明日だけはがんばってきます。

 

2009-06-18(Thu)
 

思いがけない再会

今日は、お客さまにあずかり物をお届けしたところ、

このブログを見てくれていたそうで、

心温まる感想を聞かせてくれました。

それは母のこと。

母が立派だから明子が一人前になれたと、

そういうお言葉をいただいたのです。

何だか思いがけない場所で、

母にばったり会えたようで、

私は涙をこらえることができませんでした。

母は、学校から泣いて帰った幼い私に、

「こんな小さなことで泣くな。」

とよく叱っていました。

運動会の時、

「明子お前も走りたいだろ。走りなさい。」

と障害を持つ私に言葉をくれたのも母でした。

他の子とはかけ離れてビリになる私を、

そのまま受け止めてくれたのは、

友だちでもなく、

先生でもなく、

母でした。

母は私に生きる術を教えてくれた人です。

いつの頃からでしょうか。

私は自分のことで涙を流すことはありません。

ですが母のことを知るはずもないお客さまに、

母のことを触れられて、

涙をこらえることができなかったのです。

おっかさん。

帰り道の空に、

にじんだ母の笑顔が、

いつまでもいつまでも私を、

見送ってくれました。

 その笑顔に何度もうなずきながら、

このブログを見てくれている方々に、

心から感謝しました。

ありがとうございます。

 

2009-06-17(Wed)
 

シャリーベイビーのうた

「私の花は咲いたの。」

妹がうれしそうに話してくれました。

何やら妹が働いていた会社の方が、

職場のみんなに株分けをした花のようです。

他のみんなから花が咲いたという便りはなく、

ひょっとすると自分だけが咲かせた花かもしれないと、

それはうれしそうに、

妹が大切に育てていた花、

シャリーベイビー。

実は妹が亡くなってからこちらへ帰る時に、

私がこの鉢をあずかって持って帰りました。

そして今年もまた、

シャリーベイビーは花を咲かせました。

花を咲かせたどころか、

ここに来て新しい芽が3つ生まれました。

一人で生活している私に、

シャリーベイビーは、

やさしくうたいかけてくれます。

抗がん剤の副作用で手足がしびれても、

頭が痛くても、

たとえ鼻血がでたとしても、

私のそばにいてくれて、

やさしくうたいかけてくれます

妹よ。

あなたが咲かせたあの花は、

今もここできれいに咲いています。

 シャリーベイビー

 

2009-06-16(Tue)
 

楽しい休日

今日は、午後からドライブをしました。

幼いころに自分が暮らしていた町を通り、

なつかしい風景を満喫しました。

そこは自然に囲まれてるので、

空気はおいしいし、

とても落ち着く場所です。

いとこの家を訪ね、楽しいひと時を過ごしました。

お互い家庭を持って、

状況は幼いころと変わってしまいましたが、

ここに集まってみんなとお話していると、

あの頃に戻ったような気がします。

お互いの現状を励まし合いながら、

明日もがんばろう!

という気持ちにさせてもらいました。

とてもよい休日でした。

とれたての野菜や、おいしい料理の手土産を、

どうもありがとう。

それぞれ生活が忙しいと思いますが、

またいとこ会が実現するといいですね。

みんなとはいつまでも腹を抱えて笑っていたいです。

  

2009-06-14(Sun)
 

みにくいあひるの子

今日は、一日職場で仕事をしていました。

私の仕事は洋服を作ること。

布から選んで、かたちを決めて、

注文してくださったお客さまの好む洋服を、

作らせてもらています。

今日もミシンをかけながら、母のことを考えました。

今もこの仕事を続けることができるのは、

母のおかげだからです。

みにくいあひるの子

この言葉は私が小学生の頃、

同級生の女の子たちからひそひそと、

ささやかれた言葉です。

学芸会で劇を行うことになり、

私にみにくいあひるの子を演じさせようと、

たくらんで話していた女の子たちの言葉です。

生まれつき足の障害を持つ私は、

彼女たちには、

みにくいあひるの子のようにうつったのでしょう。

昔々のお話です。

昔は、男の子たちのわんぱくが許された時代でした。

雨が降れば、石を投げつけられます。

周りの女の子たちは、走って石をよけますが、

私は、走ることができません。

的は私一人です。

私は石でぼろぼろになった傘をさしながら、

1時間ほどかかる家路を懸命に歩いていました。

当時、いじめという言葉はありませんでした。

幸せな時代だったのかもしれません。

ですが、私が障害を持つがゆえに受けたものは、

今考えるといじめだったのかもしれません。

ですが、私は彼らの行為に、

泣いたことは一度もありません。

何くそと歯をくいしばりながら、

前に前に足を動かしました。

そのことも全て母のおかげなのかもしれません。

母は私の人生の最後の最後まで、

見つめてくれた人でした。

障害を持つ私に、

洋裁の職を身につけさせてくれ、

当時はめずらしかった車の免許も、

誰よりも早く取得させてくれました。

母は障害を持つ私にあきらめたことはありません。

弟妹はたくさんいましたが、

私のことをどんな時も信じてくれました。

激しい雨が降る時は、寝んねこばんてんをかけて、

学校から遠い道のりを自分の背中にからって、

連れて帰ってくれたおっかさん。

私はみにくいあひるの子。

だけどあなたは、

きっと白鳥だったのだと思います。

だから私は今もこうして、

誰かのために仕事を続けることができるのです。

あなたの子どもに生まれて、

私は今も幸せです。

 

2009-06-14(Sun)
 

止まない雨はない

今日は久しぶりに晴れました。

晴れた日はとても気持ちよいです。

止まない雨はない。

という言葉があります。

お天気は別ですが、

心の中の雨を止めるには、

自分が太陽を見つめるしか他はなさそうです。

私の雨は決して止んだわけではありません。

ですが今は太陽の光も浴びることができます。

突然太陽が現れたわけではありません。

私はどしゃ降りの中、

ただ太陽に思いをはせて足を引きずったのです。

途方もなくさ迷い歩いていたらここにたどり着きました。

ここには太陽があります。

私がはじめて死の闇に閉じ込められたのは、

4年前に私の病気を医師から知らされた時です。

「はっきり言ってもいいですか。」

「はっ…。」

「はっきり言って悪性のがんです。」

「えっ。先生、私死ぬんですか。」

「はい、死にます。」

自分が今どこに座っているのかさえも、

わからなくなりました。

頭を金槌でなぐられたかのように、

何を考えているのかもわかりません。

ただ死という言葉だけが何度も何度も駆け巡りました。

落ち込んでいた私を、

遠方で家族と一緒に暮らしていた妹が、

よい病院があるのと自分が住む町へ呼んでくれ、

私の治療がスタートしました。

妹やその家族の優しさはうれしかったけれど、

正直私は治療は意味はないと、

絶望から抜け出せないままでいました。

死という言葉が、

私の中にある全ての光を破壊してしまったのです。

私の中にはもう自分を動かす意思もなく、

ただ流れに身を任せ歩くしかありませんでした。

妹の家族と共に生活しながら、

自分がどこか遠くで彼女たちの生活を眺めているような、

そんな気持ちがしました。

私の隣にいるのは、

どんな時でも死だけでした。

死の存在が、

そばからかた時も離れてくれなかったのです。

ですがその後間もなく、

自分の死をもちっぽけだと思うくらいの、

ショックな出来事が起こりました。

それは妹の突然の死でした。

私の治療を献身的に看護してくれていた妹が、

突然亡くなってしまったのです。

食道静脈破裂による死でした。

幼い頃から何をするのも一緒の妹でした。

死ぬのは私の方だったのに、

どうして妹が、今私の前で目を閉じているのだろう。

死の覚悟ができつつあったそんな時、

死は私を迎え入れてはくれなかったのです。

生きることを夢見ることもできず、

死にさえも裏切られ、

最愛の妹を持っていかれたのです。

その時ほど孤独を感じたことはありません。

私の居場所は、

もはやあの世にもないのではないかと、

思ったほどです。

それくらい私はどうしようもく孤独でした。

妹の死が哀しくて哀しくてたまりませんでした。

神様はどうして私に、

このような試練をお与えになったのでしょうか。

死を告知されて小さなおりの中に閉じ込められたうえに、

私の最も大切なものを奪ったのですから。

生きる糧さえも私から奪ってしまったのです。

去ってゆく哀しさと、去られる哀しさとで、

おしつぶされそうになりました。

妹の暮らしていた町から地元へ帰り、

再び一人暮らしがはじまりました。

そしてそれから間もなく、

病気が再発したことを医師から告げられました。

それからは、部屋にあるほとんどのものを捨て去り、

もらっていただけるものは、

もらっていただいたいりしながら、

時を過ごしました。

思い出のたくさんつまったものが手元から、

一つひとつ消えていきます。

消えていくのを眺めながら、

自分が消えていくことを想像しました。

私は持ち物を捨てることによって、

自分を手放す練習をしていたのかもしれません。

さよなら。

さよなら。

この言葉を何度呟いたことでしょう。

私にはもう自分の命以外何もなくなりました。

ですが何もなくなったそんな時です。

私は光を浴びたのです。

それはとても温かな、

孤独や恐怖よりもはるかに強いものでした。

人の愛が、

死の闇から私を救ってくれたのです。

私の状況が変わったわけではありません。

週に1度、抗がん剤を打っては、

私は闇と向き合わなければなりません。

ですが、人の愛は私の強い味方です。

以前よりも何倍も何十倍も強くなれたような気がします。

ただいま。

私の中の嵐は止みました。

今も時折雨が降ることはあります。

ですが今私はその雨の音に、

静かに耳を傾けることができます。

 

今この瞬間に、何かを思い悩み、

さ迷い歩いている方がいるかもしれません。

ですが太陽はあなたの中のどこかに必ず存在します。

どうかあきらめないでください。

光の方にあなたの足を運んでください。

今日私は、また新しいお仕事をいただきました。

今日はそのお客様のお宅で仮縫いを行い、

お話などをしながら幸せな時間を過ごしました。

止まない雨はないのです。

さぁ、明日もまた顔晴ります。

 

2009-06-13(Sat)
 

生きんと申し訳ない

昨日は、このページをたくさんの方が、

閲覧してくださったようで、

電話やメールで心温まるお言葉をいただきました。

ありがとうございます。

何だかここに言葉を綴ることによって、

以前よりもずっとみなさんの近くにいれるような、

そんな気持ちがします。

今日はいとこの家に招待されて、

楽しいひと時を過ごしました。

女ばかりの私のいとこたちとは、

幼いころからお互いの家を行き来しては、

姉妹のように育ちました。

それぞれ家庭を持ち、

しばらく疎遠になっていたのですが、

私の体調のことを風の便りで聞きつけてくれて、

それから私たちはまた姉妹のように、

お互いのことを思いやれる時間を過ごしています。

私たちが再び出会うことができたのは、

この病気のおかげだし、

ひょっとすると、

空の上で妹が計らってくれたのではないかと、

そんなことを一人考えたりします。

いずれにせよ、幼いころから一緒だった彼女たちの、

いくらか変わってしまったスタイルに、

あの頃とまったく変わらない笑顔を見つけることは、

今の私の楽しみでもあります。

生きんと申し訳ない。

 と思えるようになるまでには、

とても時間がかかったし、たくさんの涙も流しました。

ですが私は思うのです。

 

 生きんと申し訳ない。

ここまで一生懸命にしてくれる、

みんなの気持ちに報いるために。

 

それは私にとって、

生きたいという気持ちよりも、

温かく心を包んでくれる干したばかりのお布団のような、

どこか安心できる心地にさせてくれます。

 

今日もよい1日をありがとうございました。

 

2009-06-12(Fri)
 

ごあいさつ

明子という名前は、

68年前に私の母がつけてくれた名前です。

ある人は、明治の明子(めいこ)と私を呼びます。

またある人は、洋裁の仕事に明け暮れる私を、

明子(あけこ)と呼びます。

ですが私は、やはり母がつけてくれた、

明るい子ども明子です。

68年間この名前と共に歩み、

ようやく私は母の祈る明子になりました。

どんな時でも明るく笑顔を絶やさず生きていこう。

それが私の天から召された命です。

 

私が明子になることができた最も大きなきっかけは、

今も治療中である乳がんにかかったことです。

今から4年前、2005年12月28日、

私は医師から乳がんと告げられました。

翌年の1月から抗がん剤治療を行い、

9月には左胸の手術を、

並行して放射線の治療を行いました。

しかしそれから2年後の2008年2月に再発し、

今も抗がん剤治療を続けています。

 

その間、最愛の妹を亡くし、

生きることに絶望していた時期もありました。

ですがそのような時間の中で、私は大切な大切な、

かけがえのないものに出会うことができました。

いつも私に料理の腕をふるってくれる5人のいとこたち。

遠方から温かな言葉を送ってくれる亡き妹の子どもたち。

時々自宅を訪ねてきては私の料理を味見する娘。

職場の先生や仲間。

私にいつも仕事を注文してくれるお友だち。

やさしい言葉をかけてくれる看護師さんたち。

みんなが暗闇にいた私を明るくしてくれようと、

笑顔をくれました。

こんなにも生きることは楽しかったのでしょうか。

私は今、このがんと共に、

明るく前向きに最高の時間を送っています。

 

現在、闘病中の方、何かを思い悩んでいる方に、

少しでも力を、そして愛をお返しできるよう、

ここに言葉を綴ることに致しました。

一人では辛く、苦しいことも、誰かと手を結べば、

違う世界が見えてくるかもしれません。

 

私は今ここで顔晴っています。

 

2009-06-11(Thu)
 
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